お久しぶりになりました、魚骨です。
散々、妊婦妊婦いってきましたが、三月上旬に無事男の子をこの世にリリースしました。
”妊婦”から出産を経て、”母”というよりも”おっぱいの人”にジョブチェンです。
1日にしてこんなに状況が変わることとが他にあるでしょうか。
出産というものは状況の変化も経験としても、人生においてとてつもないディープインパクトでありました。
そんな私の出産でありますが、世のお母様方が
「出産は大変だったけど、赤ちゃんに会えると思うと頑張れました♡」とか
「産声を聞いた時は感動して涙が出ました☆」とか
出産エピソードはかくも美談チックになりがちですが
そんな美しくなかったぞ!!この世の地獄をみたわ!!
男性が「女性は痛みに堪えられるからすごいよ、男は死んじゃうもん」とか言いますが
女だって死にそうだわ!!耐えるしかないから耐えるんだわ!!
はっきりいっておこう。
自然分娩は正気の沙汰じゃない。
人類よくこんなものに堪えてきたなと。
よく途中で諦めて人類絶滅しなかったと。
ていうか進化の過程でもうちょっと楽な方法にならなかったのかと。アホかと。
ですが、まー不思議なことに、産んで数日でどんな痛みだったか忘れるのです。
死ぬほど痛かったのは覚えているのですが、どんなのかっていうと思い出せない。
二人以上産んだ友人に「よく二回も出産しようと思ったね」というと、みんな口を揃えて「大丈夫、少しすれば陣痛の痛みなんて忘れるから!そしてまた陣痛が来た時に、これだったー!って思い出して後悔する」といっていました。
人体、繁栄のためによくできております。
だったら「痛みを忘れる」じゃなくて「出産時は痛みを感じないくらい快楽ホルモンが出る」とかぐらいまで進化してほしいものですが。
そんなわけで感動とかあまりない私の出産レポートをお送りします。
This is real.
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予定日が三月中旬だったのですが、エイリアンちゃんが大きめということで早く出すためにせっせと散歩に勤しむ毎日を送っていた三月上旬某日。
●朝8:30
自然に目が覚め、腹痛を感じたのでトイレへ。お腹冷やしたかな?レベルの痛みでした。
しかし朝ごはんを食べても、お腹痛い波が定期的にくる。
陣痛チェッカーアプリで間隔を計ってみると既に3分間隔。
「陣痛ってこんなもんなのか??」と疑心暗鬼になりつつ病院に電話。電話口の私の声が余裕だったのかちょっと様子をみることに。
恐らくこれが陣痛かと思うと、いよいよ ”妊婦 a.k.a 体重を気にする生活” ともおさらば!ということで、食欲テンションが上がり、ちょっと我慢してたハイカロリーお菓子等を余裕こいてモサモサ摂取しておりました。
この時点で陣痛、くそなめてた。
そうするうちに痛みが若干増してきて不安になってきたので、母と共に病院へ向かいました。
●昼13:00
病院に到着し、子宮口が3センチに開いてたということでそのまま入院。
痛みの間隔は3分間隔のまま。痛みは若干増して、波が来た時は歩いてても「イタタタ…」と立ち止まる程度。
スーパードライな母は「私がいてもしょうがないでしょ。産んだら呼んで」と早々に帰宅。
この時点では陣痛室でもおにぎり食べたり、友人に陣痛実況したり、マンガ読んだり、まだまだ余裕。
「私って案外痛みに強いタイプ??」とか完全に勘違いヤローも甚だしく、後から思えばこんな痛みはただの序章にすぎないのでした。
●夕方17:30
3分間隔のまま変わらないし、痛みも若干しか強まらないし、子宮口も開かないし、助産師さんから「歩くとお産進みますよ」とアドバイスを受け、陣痛室をうろつく。
夕飯食べるか聞かれて、元気よく「食べます!」と即答。
●18:00
痛みが増し、ベッドに戻る。夕飯がきて一口トライするも吐き戻す。
ここから「ウーーッ」と声を出さないと痛みに堪えられないレベルになってきました。
●18:30
尋常でない痛みになり、波がくる度に顔を真っ赤にして発狂。子宮口は5センチ。
叫びも「ウーーッ」から「ア゛ア゛ア゛ア゛ァァァーーーーーッッ!!!! 」に。
こんだけ大声を出したのはミッシェルガンエレファントのラストライブ以来です。
この頃から記憶曖昧です。
ここから一時間で子宮口5センチから10センチの全開まで一気に進行。
いやほんと陣痛なめてた。もうほんとにこの一時間が痛み地獄で、体が全部バラバラになって死ぬんじゃないかと思いました。
●19:30
子宮口が全開になったということで、発狂しながら分娩台に引きずられていく。
分娩台に乗ったら痛みがピークになり大パニック。痛みで足が開けない。
怖い助産師さんに「落ち着きなさい!!」と怒られ、「落ち着けません!」と逆ギレし、そのおかげでちょっと冷静になりました。
結局破水しないままだったので、助産師さんの「破水させまーす」のゆるい宣言で破水させられる。
そしていきむ段階がくるも、呼吸がうまくできずに酸素マスクを装着。
この段階だと痛みのピークは過ぎてるのですが、虚弱軟弱な体の私には、全身フルに力を入れていきむってのがしんどくってしんどくって、この30分はいきみ地獄でありました。
いきむってよくわからなかったのですが、助産師さんが「硬いウンチを出す感じで!」と言っていて、まさにそれ。
全身震えるくらい力を入れて、ウンチではないものを出すのです。
どのくらいの力かというと、私がサイヤ人ならスーパーサイヤ人になってた。
波が引いて休む数秒間は一瞬のオアシスなので、もう酸欠やら何やらで意識が吹っ飛びそうになる。
会陰切開も「切りまーす」と言われたけど、いつ切られたのかわからないくらいいっぱいいっぱい。
吹っ飛びそうになる意識の中、助産師さんが「もうすぐ赤ちゃんに会えるからがんばって‼︎」というエールをくれるも、どちらかというと「もうこのまま諦めて寝てしまいたい( ꒪⌓꒪) 」と挫けそうな思いのが強かったです。
赤ちゃんに会いたいよりも何よりも「自分が頑張らねばこの地獄は終わらない!!」と思い直し、なんとか全身全霊で力を振り絞って、必死でウンチではないものをいきみ出すのです。
ウンチも出てたかもしれませんが、自分の下半身の部分で何が起こっているのか全くわからないので知りません。
助産師さんの「頭でましたよ!」「これから肩出ますよ!」の進捗報告のみが頼りでした。ちなみに頭が出る時も、肩が出る時も、メリッと激痛。
●20:00
朦朧としながら、「ほんにゃあ」という気の抜けるような産声を聞き、我が子が誕生したことがわかりました。
とりあえず地獄が終わったことと、赤ちゃんが元気そうであることがなんとなくわかったので、安堵感でいっぱい。
初めて我が子を胸に置かれた時は、現実味がなく、「え、重っ!」という感想。
ですが!が!
もう痛いの終わりと思ったら大間違い!!
胎盤出すのもくそ痛かったです!
あとなんか縫ったり? 処置してるのも痛い!!
終わった後もこんな痛いなんて聞いてねーぞ!!
●20:30
処置が終わり、分娩台に乗ったまま二時間の安静タイムへ。
この時、人生史上最大パワーで全身の筋肉を使い果たしたため、全身がガクガクブルブル痙攣しておりました。水を飲むためにペットボトルを持つので限界。
頭もぼ〜っとしてるし、息も絶え絶え、まさに満身創痍。
我が子は体重計測したり洗われたり、様々な処置から戻ってきて、助産師さんが私の隣に寝かせようとしてくれたのですが、満身創痍ゆえ、そのスペースを作り出すにも1mmも体を動かすことができず。
我が子は分娩台の横のケースに入れられたままというちょっと距離のある初の親子タイムとなりました。
私が我が子を満喫するよりも先に、たまたま様子を見にきた両親が生まれたてほやほやの孫を抱っこしたり写真撮ったり、大満喫していきました。
結果的に、地味に痛い準備期は長かったものの、痛み地獄の進行期〜極期は1時間、いきみ地獄の娩出期は30分で済んだ安産でした。
※お産の流れについてはこちらをご参考に
出産ってほんと人それぞれで、20時間陣痛に耐えたのに結局帝王切開とか、子宮口ラスト1センチ開くのに9時間とか、地獄レポート聞いたらわさわさ出てくるので、こんなもん地獄のうちに入らねーよ!という声も聞こえてきそうですが、安産だろうがなんだろうが、きついものはきつかった!!
自然分娩のシステムそのものが地獄でしょう!
しかも出産って産んだら痛いの終わりじゃなくて、だばだば出血は続くし、傷口が痛くて普通に座れないどころか歩くのもよちよちだし、貧血でフラフラ。
出産の体のダメージは交通事故と同じというのがよくわかりました。
こんな出産を乗り越えてきた世のお母ちゃん方、ほんとみんな偉いよ(;ω;)
そんなこんなでこの世に生まれてきてくれた我が子が今膝の上にいうわけですが、信じられないくらいかわいい。
地球上の生物の中で一番かわいい。
自分が産んだけど、明らかに天使。
出産は地獄だったし、育児も眠くてハードワークですが、そんなこと吹っ飛ばすほど我が子はかわいいです。
現実味がなく全くのNO感動出産でしたが、今更ながら元気に生まれてきてくれたことに感謝して、しみじみ幸せを実感しています。
我が子に会うためならあの出産地獄もがんばったかいがあったというものです。
ですが、第二子があるとしたらもう無痛分娩でいいかも、と思う新米母でありました。
そんなわけで初めての育児をしながらぼちぼちブログも書かせていただこうと思います。
お腹の中のエイリアンちゃん改め、甘えん坊将軍の息子(もしくはウンコする天使)共々、今後ともよろしくお願いします。