decent-work’s blog

働きがいのある人間らしい仕事の実現支援と啓蒙を行う会社です。中の人たちの徒然を書きたいように書いています。

普通じゃないことが、むしろ普通!! みんな障がい者であり、みんな健常者。

こんにちは!
ハチです。
 
少し経ちましたが、
パラリンピックとても良かったですね。
 
 
弊社、ディーセントワークがスポンサーとして応援させていただいた
稲葉将選手の出場する「馬術」という競技もありました。
 
もしよければ。
こちらのYouTubeをぜひ観ていただきたいです。
 

稲葉 将 YouTube - Bing video

 

先天性の脳性麻痺からくる両脚の麻痺を抱えている稲葉選手。

 

馬のウォームアップや鞍付けなどをしてくださるグルームさんやコーチの助けがあり、

それらのサポートがあってこそ競技ができるのだと。

 

チームワークも含めての競技なのですね。

 

何よりも、カサノバという馬と交流している稲葉選手の姿が本当の兄弟のようで、馬との強い絆を感じました。

 

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いい映像!!

 

馬と心を通わせるにはただただ毎日乗りこなすだけではなく、
その裏で日々、本当の家族のような付き合いが必要なのだなとつくづく感じました。

 

 

馬術」とは、
華麗な技でも披露するのか?
乗り方の技術を競うのか??
などの疑問・イメージがあるかもしれませんが、
 
人の技術よりももっともっと奥深く、
「人間と動物の心の通い合い」が奏でる競技。
私も初めて知りました。
 
音楽やリズムに合わせ、
馬と動物が一体となって駆ける姿に見ている側も共鳴していく。
 
とてもアーティスティックな競技で
もっと多角的で繊細なカメラワークでも観たいなあと思ったので、
今後のパラリンピックにも更に期待したいです。
 
 
オリンピックの歴史をたどると、
意外にも非常に古くは「スポーツと芸術」の祭典だったのですね。
 
パラリンピックにおいても、
ハンデを超え輝く姿はスポーツのみならず、
 
確かに芸術という分野でも活躍の場がたくさんありそうですね。
 
オリンピック規模の芸術の祭典・・・
 
なんだか想像したらわくわく。
美しさを競うスポーツもとても多いので、コンセプトとしても繋がるところが多々ありますね。
 
 
パラリンピックでは、本当にお人柄も頑張りも一層輝く選手がたくさんいらっしゃいます。
それらに惹かれ、選手のSNSや多様なインタビューをついつい見て回りました。
 
時には異議や、疑問を呈することも。
声を挙げることは大切です。
 
発信するツールがメディアだけではなく、
個人のSNS中心になったこともとても良い傾向ですね。
 
曲げられることなく、カットされることなく、
自分の言葉、気持ちを語れる場所。
 
SNSは常々リスクもあり、
透けてしまう人間力も磨いていく必要がありますが、
 
上手に付き合い利用すれば理解者が増え、新しい意見や味方の価値観が広がり、
時には大きな変化をもたらすことも。
 
 
そんな選手たちのメッセージや時代を追いかけるメディアを観て
私個人が感じたことがあります。
 
---
 
人はシーンや内容によって、
「多様」という言葉の外側にいるのか内側にいるのか無意識に判断してしまうことがあり、それがズレている時もある。
 
場合によっては、
とても遠いところで多様性を説きすぎて、当事者から違うと感じられていることもある。
 
時には多様性そのものを都合よく捉えたり発してしまったりする時があり、独りよがりな視点も生まれてしまうかもしれない怖さもある。
 
「みんないい」は、何をしてもいいという意味でないし、そう誤解する子供や大人も増えているのかもしれない。
 
多様性を語るとき、
そして自分自身が内側にいるのか外側にいるのかも含め、
何事も想像力が欠けると、傾いてしまう。
 
でも、もちろん、
遮断するよりよほどいい。
 
どちらにせよ、想像することから始まる。
 
その、想像の深さと幅で、
いくらでも自身の立ち位置やできることや理解が変わる、ということ。
 
ハッ
 
と気づくこと。
 
その積み重ねが大事なのかもしれないな・・・と。
 
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そんな中で、
 
リオで活躍した一ノ瀬メイ選手の言葉だったか、
 
視力が悪く眼鏡やコンタクトで矯正するのが当たり前な人だって
矯正がない状態だったら「障害」を感じるし、
言葉が通じない国に飛び込んだら言葉の壁や不便さを感じそれも「障害」を感じる。
 
というようなものがあり、とても共感しました。
 
また、イギリスでは、「個人モデル(個人的な能力としての問題)」と「社会モデル(社会的な障害)」という2種類の障害が定義されているのだとか。
社会が障害を生み出している...
 
「社会に障害をもたせられていると感じる」
というようなフレーズががつんときました。
 
とても簡単には語れないですが、一ノ瀬氏のInstagramなどもぜひ、一度ご覧になってみてください^ ^
 
 
そもそも、
 
物理的なもの・こと以外にも、
コミュニケーションの世界でも、
仕事の技術でも、
精神面でも、
体質的な事でも、
 
頑張ってもどうしてもうまくいかないことは誰もが「障害」と感じる。
 
ただ、シーンや内容によって助けやツールが充実している場合は、
今更疑問に思わずそれらを使いこなしていることが多いだけで。
 
むろん、
何らかの助けやツールを借りたり誰かの手や技術を借りたりすることは
誰しもあるわけで。
 
よくよく考えたら、
人生、他の人よりできないことなんてゴマンとあるし、
自覚していない自己の障害だって物理的なものだけでなく大小様々、ゴマンとあると思う。
 
 
政府に援助してもらいたいくらいだわ・・・
とつい思う花粉症だって、
慢性的な肩こりだって、
不眠だって、
高所恐怖症だって、
視力の悪さだって、
日本語しか喋られないことだって、
見方を変えれば十分、「障害」と言える。
誰にも溢れています。
 
一人ひとり、みんなそれぞれ様々な種類の課題や障害やコンプレックスを抱えていて、
そもそも普通じゃないことが、むしろ普通。
 
 
そうすると、
 
「おや、誰もがそれぞれ多様な障害を持っていて、それがむしろ普通で、それ前提で誰もが健常者だよね」
 
という結論を勝手に自分の中で出してみました。
 
みんな障害の種類や内容がそれぞれ違うだけで、
 
同じように持っている魅力もできることも強みもそれぞれ違うから、
 
魅力やできることはみんなが出し合って、高め合って、
 
困っていたらお互い助け合い、想像して、学び合う。
 
当たり前だけれど、みーんな、多様性の一部。
 
なんだか勝手にすっきりな私です。
 
 
そうそう、
馬とのスキンシップは心のリハビリにもなるそう。
 
最近は乗馬も流行っているようで
コロナ禍でありながらもなかなか予約もとりづらいかもしれませんが、
ゆっくり乗馬するのはとても良さそう。
 
馬自身も、
「蹄は第二の心臓」と呼ばれており、
脚が心臓のポンプの役目になっているので、歩いたり走らせることはとても大事なこと。
 
人と馬がもっと交わる世の中もいいですね。
 
 
からしたら、
 
なんで人間は4つ足で歩けないのかしら
なんで人間はたてがみがないのかしら
なんで人間は人を背中に乗せられないのかしら
なんで人間は生まれてからすぐに歩けないのかしら
 
人間って、大変ねえ。
 
みたいな感じでしょうか。
 
 
そうそう、人間はみんな普通じゃないんだよ。
それぞれ頑張ってるんだけどね。
 
違いを超えて理解し合って寄り添えば、新しい世の中のより良い価値観と新しい幸せの形は様々に作られていく。
ここでもいつも、当事者意識を持っていたいですね。